全日本漁港建設協会の活動内容

会員の顕彰
大臣表彰受賞者の喜びの声

平成28年度(大臣表彰者)

漁港・漁場整備を通じて地域に必要な存在とされる企業をめざして
(酒井芳宏 酒井建設株式会社代表取締役社長)
酒井芳宏

この度、平成二十八年度漁港漁場関係事業優良請負者として、二度目となる農林水産大臣表彰を賜りましたことは、長年漁港漁場整備工事に携わらせていただいた弊社にとって、身に余る栄誉であり光栄に存ずる次第でございます。ご推薦下さいました北海道をはじめ全日本漁港建設協会、並びに関係各位の皆様に心から感謝を申し上げます。

当社は、馬産地として有名な北海道日高地方中部にて昭和二十五年に創業し、翌昭和二十六年(一九五一年)に法人を設立し爾来六十五年の星霜を経て参りました。この間、河川事業、治山・農業基盤整備事業をはじめとした一般土木事業に従事して参りました。

この様な状況の中で、当社が当時は未知の世界といっても過言ではない、漁港漁場関係の工事に従事するきっかけとなりましたのは、昭和四十年代初頭に北海道並びに北海道開発局より発注された地元日高管内にある複数の漁港の防波堤の災害復旧工事を受注したことでした。

当時の海洋土木工事は、施工機械が未発達で人力に頼らざるを得ず、工事の完成には幾多の苦難を強いられましたので、漁港工事を受注する業者は殆どありませんでした。しかし、当社創業者が、海洋土木の世界に進出して海の社会資本整備事業・漁場整備事業に携わることによって地元日高の豊富な水産資源の増産・安定供給を支えることが出来ればと一念発起し、昭和五十一年に最初の作業船を建造し、起重機船には「べんけい号」、曳船は「義経丸」、潜水士船には「牛若丸」と名付け、現在では五つの船団で港湾・漁港、漁場整備事業に携わるに至りました。

当時は漁業資源が豊富で、漁港にも活気がありましたが、新海洋秩序の世界的なうねりから、漁獲制限、水産物の輸入の増加、資源状況の悪化、漁業者の担い手不足など漁業環境が一変し、北海道漁業は危機的といえる状況に陥ってしまいました。漁港・漁場整備に全力で携わってきた当社としても、漁業を取り巻く現状を危惧しています。

二十一世紀は「食糧」と「環境」の世紀といわれ、人口増加により世界の食糧供給事情が逼迫する事必死と予測される中、水産業には環境と調和しながら水産資源を安定供給し、食糧問題解決に寄与するという大きな使命があります。そのためにも、北海道の漁業が見直され、同時に漁港が有効利用されることを心より願い、かつ貢献し続けて参りたいと決意を新たにしている次第でございます。

この度の受賞を機に一層研鑽し、微力ながらも水産業の発展に資する存在であり続けたいと決意しておりますので、今後とも関係各位のご指導・ご鞭撻を頂けます様よろしくお願い申し上げまして、この度の農林水産大臣表彰受賞の御礼の言葉とさせて頂きます。

もう一度、大漁旗がなびく姿を・・・!
(横山佳弘 横山建設株式会社代表取締役社長)
横山佳弘

この度、平成二十八年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、長年漁港漁場整備工事に携わってきた弊社にとって身に余る栄誉であり、大変光栄に存じております。ご推薦いただきました福島県をはじめ全日本漁港建設協会、並びに関係各位に対して心より感謝申し上げます。

弊社は、大正九年に現在の福島県双葉郡浪江町で先代が個人で創業を開始し、今年九十七年目を迎えます。これまでに町内はもとより、地域の土木事業や建築、港湾事業と地域の社会基盤整備・開発に多く関わり、地元に密着した事業等を多く手掛けてまいりました。

このたびの受賞は、平成十六年の農林水産省水産庁長官賞に続く二度目の栄えある「農林水産大臣表彰」で、歴史を築いて頂いた先人・先輩方、苦楽を共にしながら共に歩んできた関係各社の方々、そして地域の方々からの支えがあればこその受賞であると感謝に堪えない次第であります。

弊社が掲げてきた「人間尊重の精神を堅持しつつ、地域及び社会に貢献する。」という経営理念を基に今日まで歩んできました。今回、漁港漁場関係工事における最高の賞を受賞できたことに全社員が最高の喜びを感じ、歩んできた足跡の確かさを実感しております。

復興道半ばの双葉郡、限りある力ではありますが、この賞を更なる原動力として復興に全力を注ぎ、復興から希望への新たなかたちをつくるために邁進していく所存であります。

五年前に発生した3.11東日本大震災、大津波により沿岸地域の多くの家屋と尊い人命を失う、甚大且つ壊滅的な災害を被り、その後の福島第一原子力発電所放射能事故により、活動拠点であった浜通り地域及び双葉郡の全町民が県内外に避難を余儀なくされる最悪の事態となり、地域への立ち入りも制限され、事業活動も懸念され、会社の存続すら危ぶまれる状況でありました。

その後、避難先の県中通り地区(二本松市)に本社機能を仮事務所にて開設しましたが、私たちを育み、営んできたこの地域への想いから復旧・復興を成し遂げることを決意し、震災一ケ月後には浪江町沿岸部の津波ガレキ等の啓開作業に従事、同年八月に浪江町の北寄りにある南相馬市原町区のテナントビル内に本社仮事務所を移設、開所し、現在も県内外に避難中の社員を再度呼集して、主に双葉郡内の海岸、河川、道路、港湾等の災害復旧事業に全精力を注いでおります。

本県の沖合は、寒流と暖流が交じる潮目の漁場で魚種も豊富で、浪江町の請戸漁港(第三種)の平成二十二年の港勢は、組合員数二一六名、漁船九四隻、県内二番目の漁獲高を上げていました。

大津波により沖合施設、外郭施設、係留施設、荷捌き場等の付属関連施設が壊滅的な被害を受け、併せて多くの漁船が被災し、現在は組合員一五九名、漁船二六隻までに減ってしまいました。

何とか難を逃げきった漁船は、近隣の漁港に一時的に係留中ですが、一日でも母港の請戸漁港に戻り、再操業できることを漁業関係者より切望されているところです。

しかし、福島第一原子力発電所放射能事故により、この地域での農林水産業は、放射能による風評被害を受け疲弊した状態が続いていますが、復旧後は以前のように請戸漁港から新鮮で美味しい水産物が揚げられ、大漁旗を勇ましくなびかせて進む漁船団の姿が、賑わいや活気を取り戻す一因となることと確信し、一日でも早い復興に寄与することが弊社の使命と感じております。

最後になりますが、今後とも関係各位の変わらぬご指導、ご鞭撻を心よりお願い申し上げ、御礼の言葉とさせて頂きます。誠に有難うございました。

地域社会と共に歩む!!
(眞崎龍介 株式会社大川建設工業代表取締役)
眞崎龍介

この度、平成二十八年度漁港漁場関係事業優良請負者として、農林水産大臣表彰を賜りましたことは、長年漁港漁場整備工事に携わらせていただいてきた弊社にとりまして、身に余る栄誉であり光栄に存ずる次第であります。ご推薦下さいました長崎県をはじめ全国漁港建設協会、並びに関係各位に対しまして心より感謝申し上げます。

弊社は、昭和三十九年、大川海運物産株式会社から建設部門を分離独立させ、大川港湾土木株式会社として発足しました。以来、海を隔てて韓国と国境を接する対馬を中心に漁港、漁場、港湾整備工事などの施工を行ってまいりました。

対馬は、面積が約七百平方キロメートルで、全国の島の中でも三番目に大きい島ですが、面積の九割を山林が占め、平地に恵まれないことなどもあり、水産業が基幹産業になっております。島内には五十三の漁港と十の港湾があり、これらを漁業活動の基地並びに生活基盤として整備することが、地域産業の振興・発展と住民生活の向上を図るうえからも大変重要となったことから、弊社もその一翼を担わせていただいてきたと思っております。近年は、燃油が高騰する中で魚価が低迷するなど、地域の水産業としては苦慮しているところもありますが、一方、マグロ養殖などでは生産量も増加傾向にあり、水産業の活性化が、地域の活性化につながると、改めて考えているところです。

私の好きな言葉に『一期一会』、『温故知新』があります。この二つの言葉を座右の銘として“人と人との出会い”、“人と物との触れ合い”を大切にしながら、引き続き、漁港、漁場、港湾整備工事などの施工を通じて、顧客である住民の皆さんの期待に十分応えることができるよう、「地域社会と共に歩む」をモットーに社員一丸となって努力してまいりたいと考えております。

最後になりますが、この度の受賞は、発注者の皆様の的確なご指導、漁業関係者、地域住民の皆様のご協力の賜と考えております。この名誉に恥じることがないよう、一層精進してまいりますので、今後とも関係各位の変わらぬご指導、ご鞭撻をお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。

誠にありがとうございました。

平成27年度(大臣表彰者)

復興に全力!
(小泉進 株式会社小野良組代表取締役社長)
小泉進

この度、平成二十七年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、長年漁港漁場整備工事に携わってきた弊社にとって身に余る栄誉であり、大変光栄に存じております。ご推薦いただきました宮城県をはじめ全日本漁港建設協会、並びに関係各位に対して心より感謝申し上げます。

3・11東日本大震災、わが街、気仙沼も魚市場を中心に形成していた市街地は、大津波と火災によって八〇・八%の水産加工施設を含む事業所と一五,八一五棟の住宅が一瞬にして瓦礫と化し、死亡者・行方不明者も一千名を超え今なお行方不明者の捜索が続けられているという大惨事に見舞われました。特に津波の到達が早い、沿岸部においては漁業の拠点となる三十八ヶ所すべての漁港施設をはじめ、養殖施設、漁船、作業場等のほとんどが壊滅的な被害を受け、悲惨な状況がしばらく続いていました。

このような惨憺たる状況の中で、私共地元建設業者は自ら被災しながらも、避難所から通う多くの従業員と共に、いち早く被災現場に駆け付け、道路啓開を中心とした緊急対応、その後の瓦礫の撤去及び解体作業、海・川の啓開、仮埋葬、水産加工物の海上投棄等、被災地域の方々により添いながら、地域建設業者として大きな使命感をもってその応急対応にあたってきました。

生鮮カツオ水揚げ量日本一を誇る気仙沼港、震災の年六月、仮復旧した気仙沼魚市場に復興の第一歩となる生鮮カツオが初水揚げされ、再起に懸ける漁業・水産関係者に大きな勇気を与え、昨年まで十八年連続で日本一の座を守り続けています。そのカツオに象徴されるように、気仙沼市は震災復興計画のキャッチフレーズを再び海の可能性を信じて『海と生きる』としました。そして、震災から五年目、浸水地域の嵩上げ・区画整理、漁港整備と防潮堤、防災集団移転と災害公営住宅、水産加工の集積事業等、膨大な復旧・復興事業を加速的に進め、官民一体となって「実感」できる早期復興を目指しています。

当社も、発災直後からの緊急・応急対応を含め「復興に全力」を会社スローガンとし、本格化した土木・建築の復旧・復興工事にフル生産・フル稼働にて休む間もなく取組んでおります。とりわけ漁港整備においては、これまで七漁港、九十三施設の災害復旧に着手、困難な作業も多い中工事の早期完成を目指すと共に、発注者並びに地域住民の方々と連携し漁業集落の防災対策や各施設等の整備にも地元建設会社としての役割を果たしていきたいと考えております。

大正九年大不況の時代背景の中、失業対策として始めた私有地埋め立てが当社の創業であり、今日の漁港の基礎を築く事業だったと社史には刻まれております。以来、九十五年間漁港漁場の整備事業に継続的に携わることができ、更には、平成五年に続く二度目の栄えある「農林水産大臣表彰」は、九十五年の歴史を築いて頂いた先人先輩の努力は言うまでもなく、苦楽を共にしながら共に歩んできた関係各社の方々、そして地域の方々からの支えがあればこその受賞であると感謝に堪えない次第であります。

当社は「企業は社会の為に存在する。」という会社理念を貫きながら今日まで歩んできました。今回、漁港漁場関係工事における最高の賞を受賞できたことに、役職員全員が最高の喜びを感じ、振り返った足跡の確かさを実感しております。復興道半ばの気仙沼、限りある力ではありますが、この賞を更なる原動力として「復興に全力」を注ぎ、復興から希望へのかたちをつくるために、邁進していく所存であります。

最後になりますが、関係各位の変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げ、御礼の言葉とさせて頂きます。

地域に必要とされる企業を目指して
(堤俊之 株式会社菅組代表取締役)
堤俊之

この度、平成二十七年度漁港漁場関係事業優良請負者として、二度目となる農林水産大臣表彰を賜りましたことは、長年漁港漁場整備工事に携わらせていただいた弊社にとって、身に余る栄誉であり光栄に存ずる次第でございます。ご推薦下さいました大分県をはじめ全日本漁港建設協会、並びに関係各位に心から感謝を申し上げます。

弊社は昭和十三年大分県の国東半島香々地の町で創業いたしましたが、当時は日中戦争、太平洋戦争と開店休業の状態であり、終戦後やっと土建業として河川や海の災害復旧工事に本格的に従事し、昭和二十六年当時の杵築町から加貫漁港防波堤工事を大分県から香々地漁港災害復旧工事を受注し、海の業者としての歩みが始まりました。昭和二十八年には株式会社へと組織変更し仕事の範囲も国東半島から大分県下一円へと拡大いたしました。またこの年初めての自家造船による曳船「第一三垂丸」が翌年には資材運搬船「第一・第二三洋丸」二隻が進水し海の業者としての機動力は飛躍的に向上、昭和三十三年念願の起重機船と浚渫船の機能を備えた「第一西海号」が進水し、一人前になれたと役職員の喜びはひとしおだったと聞いております。それ以降ポンプ船、バックホー船、ミキサー船等々設備も増強され、昭和四十二年には宮崎県宮崎市に県外初の出張所を設け、船団と共に宮崎港や延岡港に出かけてまいりました。昭和四十六年宮﨑出張所を閉鎖し山口県徳山市(周南市)に開設、戸田漁港や大津島漁港等で仕事をさせていただき、現在は山口支店として営業を続けております。また昭和五十三年には福岡営業所を開設し仕事のエリアも九州全域へと拡大され、昭和五十九年支店に昇格し充実を図ってまいりましたが、昨今の環境の変化に苦戦をしております。

現在水産業にもさまざまに変化を求められておりますが、弊社は姫島の車えび養殖事業や漁場の環境整備に、また周防灘フェリー等にも微力ながらお手伝いさせていただいており、漁業者の生活の向上や地域の発展にお役にたて、地域の人から必要とされる企業を目指して今後も鋭意努力してまいりたいと考えております。

三年後には創業八十周年の節目を迎えますが、この度の受賞はこれまで長年海の仕事に携わってきた全社員の努力の賜ではありますが、発注者の皆様方からいただいた適切なるご指導と、漁業者の皆様方の温かいご協力があったればこそと、心から感謝を申し上げます。今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げお礼の言葉とさせていただきます。誠に有り難うございました。

地域と共に歩む企業を目指して
(河野和也 河野建設株式会社代表取締役社長)
河野和也

この度、平成二十七年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、長年漁港漁場整備工事に携わった弊社と致しましては大変光栄に存じます。

このような身に余る賞を頂くにあたり、御推薦くださいました宮崎県をはじめ全日本漁港建設協会、並びに関係各位に心より感謝申し上げます。

弊社は昭和二十六年、宮崎県南部の港町、日南市大堂津にて創業し、今日までの六十五年間、漁港・漁場・港湾整備を主体とする公共工事の施工を行って参りました。

日南市は、農林水産業が盛んな土地であり、特にマグロ・カツオ漁を中心とする水産業は主幹産業となっています。

当社において、最初の漁港漁場・港湾整備工事は、昭和二十八年に地元大堂津漁港の修築事業でありました。当時の新聞に掲載された記事によると、L型の製作・据付を行うこの事業は、宮崎県下初の試みで、経済的な特色があることから注目された事業であり、港湾工事においては素人同然であった当社が、発注者及び全国漁港協会(当時)より高い評価を頂いたとのことが記されております。

この工事をやり遂げたことをきっかけに、河野浅次郎社長(創業者・故人)が漁港・港湾工事に本格的に進出することを決意し、大堂津漁港をはじめ、隣接する油津漁港・目井津漁港を中心に漁港整備事業に携わって参りました。以来、社員教育に力を注ぎ、技術力の向上に努め、実績を重ねてきたことにより発注機関・漁港関係者の信頼を高めて参りました。

また平成十八年から二十六年までの八年間、河野實夫社長(現会長)が全日本漁港建設協会宮崎県支部長に就任したこともあり、支部長会社としてはずかしくないよう社員一同努力を重ねて参りました。それにより現在では、県北から県南までの漁港にて仕事をさせて頂いております。

この度の大臣表彰は、長年漁港整備事業に携わってきた当社にとっての目標であり、三代に渡り情熱を注いでくれた社員・OB、また、発注機関、漁港関係者、地元住民の方々並びに協力会社の多大なるご協力の賜であります。この名誉に恥じることなく、更なる研鑽を積み、地域と共に成長し、いつまでも地域に必要とされる企業となれるよう社員共に一層精進してまいる所存でございます。

最後になりますが、今後とも関係各位の変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げ、御礼の言葉とさせて頂きます。

誠にありがとうございました。

平成26年度(大臣表彰者)

地域社会に必要とされる企業を目指して
(堀松一郎 堀松建設工業株式会社代表取締役社長)
堀松一郎

この度、漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、長年漁港漁場整備工事に携わってきた弊社と致しましては大変光栄に存じます。

ご推薦頂きました北海道をはじめ全日本漁港建設協会、関係各位に心より感謝申し上げます。弊社は昭和四年四月の創業以来、建設業に従事し地元である留萌管内の土木工事を始めとし、まだ黎明期であった港湾土木工事の施工技術をもって北海道各地の漁港・漁場・港湾整備で実績と信頼を重ねて参りました。

昭和五十四年に道内の基幹産業である水産業の発展に資することを目的としてフローティングドック(大雪1号)(大雪2号)を建造、昭和五十八年クレーン・グラブ兼用船(暑寒1号)を建造、昭和六十二年バックホウ式浚渫船(暑寒2号)建造、平成五年にフローティングドック四七〇〇t(大雪3号)を建造、漁港・漁場整備などに道内外地区に本格的に参入し高品質の成果品を提供する等水産基盤整備事業等に尽力してきました。現在はフローティングドック1隻、大型押航式多目的作業船三〇〇t吊(第16号堀松丸)1船団を保有し平成二十四年にバックホウ船(第18号堀松丸)を建造しました。

また、品質向上や環境への配慮等社会的責任を果たす為に各マネジメントシステムを構築するとともに水産工学士等の資格を推進するなど海上土木に関する人材育成に努め、施工力、技術力の向上を図ってきました。

このほか、留萌地区沿岸排出油災害対策協議会に加盟するとともに海上保安庁主催の合同訓練に毎年参加しており地域沿岸での災害協力体制構築にも積極的に取り組んでいます。地域貢献では平成十八年から留萌市礼受牧場の環境整備やスポーツ大会の会場設営整備等、積極的かつ継続的に行っております。今日では東北方面にも営業所を設け施工実績を持つようになりました。

これまでの間、弊社も決して順風な時代だけではありませんでしたが創業以来の精神でもある「今日より明日どうしたら会社が良くなるか」を常に考え、全社員が手を携え知恵を出し合って厳しい時代を乗り切って参りました。

この名誉ある大臣表彰は創業以来長きにわたり漁港漁場整備工事に携わってきた多くの先人、社員、関係者の努力の賜であります。今後も地元の建設業として時代がいかに変わろうとも着実に歩を進め顧客の信頼を重ね、安全を第一に品質と環境面にも配慮し、一〇〇年企業を目指して全社員一丸となり地域社会に信頼され必要とされる会社として企業価値の向上に努めてまいる所存であります。

最後になりますが、関係各位の変わらぬご指導、ご鞭撻を心よりお願い申し上げ、御礼の言葉とさせて頂きます。誠に有難うございました。

地域と共にある建設会社を目指して
(齋藤彰浩 齋勝建設株式会社代表取締役社長)
齋藤彰浩

この度、平成二十六年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣賞を賜ったことは、長年漁港漁場整備工事に携わってきた弊社にとって、身に余る栄誉であり、大変光栄に存じております。御推薦くださった青森県を始め全日本漁港建設協会、並びに関係各位に心から感謝申し上げます。

弊社は、昭和二十一年青森県五所川原市において創業、以来今日までの六十八年間、津軽地区を中心に、社会資本を充実させる公共工事を主体に施工して参りました。

昭和四十六年 齋藤寛治社長(現会長)が漁港漁場工事に進出を決意し、小泊村(現中泊町)に出張所を開設致しました。

今回の対象事業、北津軽郡中泊町「小泊」は第4種漁港として津軽半島の中程、日本海に突き出た小泊岬の北側に小泊港南側に下前港と分かれ、漁船数五二三隻全国十八位の隻数を誇るイカ釣り主体の漁村です。両港で水揚げする海峡メバル、ヤリイカ、マグロが築地市場で高い評価を得て、小泊ブランドで名を知られております。漁港建設工事参入から、防波堤工事を中心に離岸堤工事、魚礁ブロック設置工事を四十年余に渡り、日本海の荒波に耐えながら積み重ねた技術力で、顧客の信頼を高めて参りました。地域においては若者の雇用、定住に務め安定した地域産業の役割を果たして参りました。また、災害発生時における支援活動に取り組み、昭和五十八年日本海中部地震では、港内からの漁船・車両の引き上げ協力、平成十七年木材運搬船座礁に伴う木材撤去、翌平成十八年には、日本初の公共事業による座礁船撤去工事を短期間に完成させ、漁場の回復に努めました。

これを機に社会貢献活動を重視し、平成十九年から「小泊海岸を守る会」を発足、河川海岸線の環境美化活動を実施しております。本年で八回、年々ゴミの収集量が減少しております。また 漁業協同組合と共に稚魚(メバル・ソイ)、ナマコの放流支援活動、昆布、わかめ養殖事業を進め資源保護に努めております。平成二十五年には青森県が推進する「環境公共」活動を、小泊の次世代を担う子供たちを対象に教室を開催運営しました。地域と共にある建設会社を目指して企業活動を継続して参りたいと思います。

また、これまで大過なく施工できたのは、青森県西北地域県民局、中泊町、小泊・下前漁協の御指導と周辺住民の皆様の御協力のお陰と感謝申し上げます。

漁港漁場関係工事で最高の賞を受けたことを、全役職員が胸に刻み今後益々の技術の研鑽を致します。高品質で、環境に配慮した堅牢な工事施工を行い 国土強靱化の一翼を担う建設会社を目指してゆく所存です。今後とも関係各位の御指導、御鞭撻を賜りますようお願い申し上げお礼の言葉とさせていただきます。

誠にありがとうございました。

漁業を支える会社として
(長谷川明正 株式会社長谷川組代表取締役社長)
長谷川明正

このたびは、平成二十六年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜り、誠に光栄に存じます。このような身に余る賞をいただき、ご推薦くださいました宮崎県をはじめ全日本漁港建設協会、関係各位の皆様に心より感謝を申し上げます。

弊社は昭和三十年に、宮崎県北部の日向灘に面した町、門川町にて創業いたしました。門川町は、町の東端に位置する遠見半島と、南に隣接する日向市の細島半島との間に湾を形成し、外洋は黒潮分流と豊後水道流との合流海域であることから、古くより、漁業が盛んな町として知られてきました。

現在、町の水産業を支える門川漁港では、沿岸漁業を主に種々の漁法が行われ、湾内では、タイ、アジ、カンパチなどの養殖業が、漁港付近では特産品のチリメンジャコや、アジやイワシの干物といった水産加工品の生産、販売が行われています。

このような環境の下で、昭和三十一年の門川漁港修築事業を皮切りに、隣接する延岡市の島浦漁港や、大分県との県境に位置する北浦漁港など、いずれも豊かな漁場を有する、地元漁港の整備工事に携わって参りました。

平成五年には二五〇t吊起重機船「第18五十鈴号」が建造され、活動の場は、地元漁港から全国へと広がっていきました。また、東日本大震災発生後は、福島県の相馬港や松川浦漁港での災害復旧工事に参加し、微力ながら復興のお手伝いをさせて頂きました。

弊社は、来年で創業六十周年を迎えます。その間、先代、先々代と三代に渡り、社員、関係者と共に地元漁港の発展に尽力して参りました。この度の表彰は、現在まで漁港整備工事に関わった皆様の苦労と努力の賜であり、今後はこの栄誉を傷つけることなく、社内一丸となって一層の精進を重ねてまいる所存でございます。

二〇二〇年の東京オリンピック開催が決まり、これから東京を中心に高速道路や公共施設、競技場など、インフラ整備が進められることになります。正に国を挙げての大行事になりますが、一企業として、今後とも、漁港整備工事に関わり続け、地域の重要な産業である漁業を支えていければと思います。

最後になりますが、関係各位の変わらぬご指導、ご鞭撻をお願い申し上げ、御礼の言葉とさせていただきます。誠に有難うございました。

平成25年度(大臣表彰者)

顧客の信頼を得て、地域社会への貢献を目指す
(西村幸浩 株式会社西村組代表取締役)
西村幸浩

この度、漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたこと深く御礼申し上げます。ご推薦いただきました北海道をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

さて、我が湧別町はオホーツク管内のほぼ中央部に位置し、冬は流氷が襲来し、初夏は作物の生育には厳しい低温が続く環境であるものの、町内を流れる湧別川は今でもオショロコマが生息する豊かな川で、その豊富な栄養源は海を豊かにしています。弊社は、この湧別町にて昭和十一年に創業を開始し、漁港・漁場、港湾、道路等の総合的な社会基盤整備に携わってまいりました。

昭和三十四年には社是「誠実」・社訓「和」と定め、経営理念を「建設業の公共性を認識し、事業を通じて国家社会に貢献する」、「従業員個々の幸福と企業の繁栄の一致を創造する」の二項目とし、全社的に日常の業務、生活の中で守るべき規範として長年にわたりこれを遵守しています。昭和四十九年に初めての大型起重機兼浚渫船「第5西村号」を建造して以降、数隻の起重機船やクレーン付台船の建造を経て、平成九年には大型砕岩浚渫船「第36西村号」、平成十五年、平成二十三年には三五〇t吊起重機船「第38西村号」、「第75西村号」の大型船を建造しました。これまでの漁港拡張整備期間に上記のような作業船投資を行ったため、さまざまな漁港で施工に携わらせていただきました。その結果、それらの経験が施工の幅を広げると同時に発注官庁の信頼をも得ることにつながり、微力ながらも北海道内の漁港・漁場、港湾整備の一翼を担えたと考えております。

近年、建設業界を取り巻く環境は厳しいものがあり、中でも技能労働者の高齢化や若年就労者の不足は深刻な問題です。このままでは技術・技能の伝承ができなくなるため、後進に安心して将来を託すためにも、当社では技能の継承に力を注いでおります。

この名誉ある大臣表彰は、創業以来の長きにわたり漁港漁場工事に携わった先人達の努力と彼らの作り上げた信頼によっていただいたものと考えておりますので、この信頼を傷つけることなく、地元の建設業の役割と責任を今一度自覚し、社内一丸となって地域社会の発展に貢献していく所存であります。関係各位におかれましては今後も変わらぬご指導、ご鞭撻をお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。誠にありがとうございました。

震災から立て直し、地元から必要とされる会社へ
(山元一典 株式会社山元代表取締役社長)
山元一典

二〇一一年三月一一日の震災で、当社は会社の全財産の九十五%を失いました。本社社屋は全壊、海岸の倉庫五棟も全壊、三隻のクレーン船のうち一六〇t吊クレーン船は、岩手県の宮古港で藤原埠頭(公共埠頭)の岸壁より一〇〇m奥のヤードに津波で運ばれました。一〇〇t吊のクレーン船は、釜石港の泉地区の岩礁に座礁し解体。八五t吊クレーン船は、釜石港から流されて金華山沖七〇〇マイル沖にて発見され、釜石まで回航し、その後解体。ボックスバージ三隻の内二隻は、金華山沖三十五マイルにて発見され、石巻港に回航係留され、一隻は現在も所在不明。三五t吊揚錨船は釜石港にて座礁、後に解体。ランプウエー台船は、釜石港にて座礁、後日、救助後上架修理。台船三隻、曳船四隻、交通船及び作業船五隻など、ほとんどを被災致しました。この様な中で、当社が会社の体制を立て直すことが出来たのは、私はじめ、全社員六十四人が全員無事であったと言う事が大変大きなことでした。震災後、これだけのプロ集団を動員することが出来た事が大きな弾みとなり、三〇〇tのクレーン船、三十二tの砕岩棒を使用出来る砕岩船、曳船、作業船、交通船、その他を購入し、震災前以上の施工体制を確立する事が出来ました。

私自身、家族と小学校の体育館で約一か月生活をしてきましたが、一時は、廃業も考えた事もありました。震災後初めて、社員と顔を合わせたとき、社員から「社長、頑張りましょう、指示してください。」との言葉で、目が覚めました。会社、社員、それから県の水産部の皆さんの頑張れ、頑張れの、声を背にここまで来ることが出来ました。有難うございます。この度の農林水産大臣表彰受賞は、当社にとりましても、当社社員にとりましても、何物にも変え難いご褒美だと思っております。感謝、感謝でございます。今後は、地元から必要とされる信頼された会社を目指し、なお一層の精進をして頑張っていきたいと思います。今後とも、ご指導、御鞭撻を宜しくお願い致します。

人と自然と文明が共存するよりよい環境を目指して
(本間達郎 株式会社本間組代表取締役社長)
本間達郎

この度、平成二十五年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、長年漁港漁場整備工事に携わってきた弊社にとりまして、身に余る栄誉であり、大変光栄に存じております。ご推薦くださいました新潟県をはじめ全日本漁港建設協会、並びに関係各位に心から感謝申しあげます。

弊社は、昭和九年の創業以来今日まで七十九年間、皆様のご愛顧に支えられ、総合建設業として、全国各地で数多くの工事に参画してまいりました。漁港建設工事には昭和三十年ころから着手し、主に新潟県佐渡島内において両津・鷲崎・白瀬・水津・北小浦・椎泊漁港などの整備工事を手掛けております。

佐渡地域における漁港災害復旧工事で最も印象深いものは、平成二十年に発生した冬季風浪による高潮災害であり、その際は、鷲崎・水津・北小浦漁港が壊滅的な被害を受けました。弊社では、被災直後からいち早く、被害状況の把握や飛散物の撤去作業等のお手伝いを行うとともに、復旧方法の技術提案などを進め、着工から四年の年月を経て、無事完成を迎えることができました。

当地域ではボランティアや地域貢献活動にも積極的に関わっており、前述の高潮災害への対応として被災地区の海岸清掃を行なったり、作業船を利用して佐渡のアピール看板を設置するなど地域の活性化を考えた活動を行ってきました。このほか、地元の防災協議会に加入して海難救助や油流出対応を行うなど、地域の安心安全に対しても積極的に取組んでいます。

また、これまで当社では、作業船舶として、クレーン付き台船・起重機船・FD(ケーソン製作用台船)・ポンプ浚渫船・高濃度浚渫船・コンクリートプラント船等を多数保有し、海上工事のスペシャリストとして新技術導入に対する設備投資を積極的に進め、技術力の向上を図ってきました。

この度の大臣表彰は、創業以来長きに渡って漁港漁場整備工事に携わってきた多くの先人、社員、関係者の努力の賜であります。今後も、刻々と変化する社会のニーズにいち早く対応しながら、『人と自然と文明が共存するよりよい環境の創造』を通じて地域の皆様との関係を更に大きなものへと育んで行く所存でございます。

最後になりますが、関係各位の変わらぬご指導、ご鞭撻を心からお願い申し上げ、御礼の言葉とさせていただきます。誠に有難うございました。

平成24年度(大臣表彰者)

「誠・礼・和」を社訓に百十五年
(中田伸也 株式会社中田組代表取締役社長)
中田伸也

この度、漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、大変光栄であり、身の引き締まる思いであります。ご推薦くださいました北海道をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に心より感謝申し上げます。

弊社は、明治三十年に日本最北の利尻島鬼脇で創業開始以来、宗谷地方を中心に厳しい風土のなか漁港漁場・港湾・道路などの公共事業を主体とした地域の基盤整備に努め、今年で百十五年目を迎えました。常に変革の意識を持ち、優れた技術と高品質を保ち、誠心・誠意・誠実をモットーとし、礼節をわきまえ、和を以って会社の繁栄を期す「誠・礼・和」を社訓とし、経営にあたって参りました。

利尻島にある二港湾、八漁港はいずれも自社作業船で手がけ、北西風による激浪や離島特有の季節や時刻により変化する複雑な気象、海象条件を克服し地元の信頼を得てきました。利尻島の水産業は基幹産業であり、その根幹となる施設の整備に長年従事し、その功績が認められたのは何物にも勝る栄誉であると考えております。

宗谷地方は、日本海、オホーツク海に面しほたて貝、さけ、利尻こんぶなど安全・安心な水産物の供給基地としてその役割を果たしています。世界的に水産物の需要が増えるなか、ブランド力のある北海道の水産物を安定的に供給するには資源の維持増大が欠かせません。今後も漁港漁場関係事業の整備を通じて、活力のある地域づくりに貢献できるよう技術の研鑽に一層努めて参る所存でございます。

近年、公共工事を取り巻く環境は大きく変化しています。こうした変化に対応するため弊社は、平成十七年に品質、環境、労働安全衛生のマネジメントシステムを一つに統合し、そのシステムを活用して効率的、効果的に事業を推進し、顧客や社会ニーズに即応した企業活動を強化しているところでございます。

昨年発生した東日本大震災では、港や道路などの社会資本の重要性とともに被災後ただちに復旧作業に取り組み、地域の維持、安全に大きな役割を果たした地元の建設業の存在、意義が改めて認識されました。

この名誉ある受賞を契機に、幾多の困難を乗り越えてきた先人の志を受け継ぎ、地元の建設業の役割と責任を自覚し、社内一丸となって地域社会の発展に貢献して参りたいと考えております。

関係各位の、今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻をお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。誠にありがとうございました。

御礼と3・11のその後の現況
(大坂文人 大坂建設株式会社代表取締役)
大坂文人

昭和二十四年の創業より六十三年、先代敏夫に二十八才の時先立たれてから三十五年目の本年、漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、漁港漁場整備並びに昨年3・11発災後、三月十六日から東日本大震災宮古地区災害支援連絡協議会・瓦礫除去対策本部会長として携わってきた弊社にとって身に余る栄誉であり、大変光栄に思って居ります。

ご推薦下さいました岩手県漁港建設協会・岩手県農林水産部をはじめ、水産庁・全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

千年に一度という未曾有の大震災による大津波。あれから一年四ヶ月経過しました。

当時は、津波の押し寄せた所は全て瓦礫の山と化し、何処から何処へ片付ければ良いのか絶句状態でした。インフラは壊滅。生存者を見つけ助けながら、国道・県道・市町村道を確保し、小雪の舞い散る寒さを押切、瓦礫の山を自衛隊の方々・警察の方々と一体となり、被災者の心境を脳裏に焼付け、我々地元業者は数ヶ月間、休みなしで、車両・家電・金属・可燃物・不燃物・その他を分類し、一次集積場へと、蟻のように働きました。その結果、被災地域のどこよりも早く街に明かりが灯り、街は活気づいて来て居ります。

この速さは国・県・宮古市のご指導と地元建設関連団体の結束力の賜物と自負して居ります。

昭和二十五(一九五〇)年に我が鈴木善幸元総理が、全国漁民生活の向上には全浜に漁港施設が必要不可欠との思いで、議員立法の第一号として漁港法を制定させて以来現在に至っている訳ですが、その全てがあの超巨大津波三波で壊滅してしまった。通常の台風・大時化による災害復旧工事は「三年ないし五年以内に完了」とのこと。六十年以上かけてやっと完成間近だった港を通常の災害復旧期間内に完成させたい方針はいくら「被災者・漁民の生活最優先」とは云え、かなり無理が有るのでは・・・。

平成二十四年度宮古地域で国・県・市の発注予定工事の中での生コン量が約五十一万m3。市と町に三社有る生コン工場の最大出荷量は約十六万m3。三十五万m3の目処が立っていない。

宮古地域は瓦礫の除去が頗る順調だったためなのか、昨年後期から県宮古振興局漁港課だけが復旧工事を発注し始め、今年度になり、国・県・市町村・漁協も一斉に発注。

請け負った各現場は毎日コンクリート打設したいが四~五日に一度配給されるという、休止に等しい状況。砂・砂利・砕石・捨石等も資材不足。現場は休む事ができず経費は嵩む一方です。

五月三十日、国・県・市・生コン会社・生コン卸商共同組合等が集まり情報連絡会を開催。対策として、仮設プラントの新設を一~二ヶ所検討していると云う内容です。いずれにせよ何処にも足りず、抜本的な解決策に至っていない。これが今の宮古地域の現実のすがたで在ります。

このような状況の下、全日本漁港建設協会は被災三県の会員だけでは、膨大な工事量を消化仕切れぬとの考えに立ち、早々、ホームページに専用サイトを開設。今では他県の業者が応援に駆けつけてくれ「誠に有り難い」状況で在ります。

いずれに致しましても、災害復旧工事が本格始動しているこの時期の大臣表彰受賞。昭和六十三年五月水産庁長官賞、平成十年五月農林水産大臣賞、そしてこの度、十四年ぶりに大臣表彰受賞という運びに成りましたが、この栄誉にお応えするためにも今後も一層、地域社会のため漁港漁場関係事業に微力ながら邁進して参る所存で在ります。関係者各位におかれましては変わらぬご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

誠に有難うございました。

地域の安心と安全を守る企業を目指して
(松永和夫 大石建設株式会社代表取締役)
松永和夫

この度、平成二十四年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、漁港漁場整備工事に携わってきた弊社にとりまして身に余る光栄であります。

ご推薦くださいました長崎県をはじめ、一般社団法人全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

弊社は、豊かな海に恵まれた長崎県の北部に位置する平戸市生月町にて昭和八年創業以来、長崎県全域に営業拠点を設け、漁港・漁場・港湾工事等公共工事を主体として地域の基盤整備に努めて参りました。

全国でも有数の水産県である長崎県にあって、地域水産振興の発展の為、漁港整備に必要な大型の作業船舶を保有し施工技術の向上に努め、時代に即した新技術の開発や研究に励んでおります。

一例として、平成十五年度より海底の汚泥を取除く装置としてサブマリンクリーナー工法の開発に取り組み、海底の底質改善が出来る工法の開発に成功し、水産基盤技術開発賞や国土技術開発賞を受賞し、佐賀県伊万里湾の漁場回復事業や福岡県博多港の浮泥除去また、鹿児島県長島町では赤潮対策底質改善工事にて実績を作って参りました。

会社の経営方針として、工事の品質向上と環境への配慮等の社会的責任を果たす為、品質・環境のマネジメントシステムを導入し、地域社会及び発注者から信頼される会社として常に品質向上を目指し、技術の革新に挑戦。又、企業活動を通じて資源・エネルギーの節約と地球環境保全に取り組み、地域社会の発展に貢献出来る会社作りを行っております。

地域貢献活動としては、ソフトボール大会を主催し住民との融和をはかり、清掃美化活動として愛護団体に登録し、漁港海岸及び道路の清掃活動を行い、又、「大規模災害発生時における支援活動に関する協定」を締結し、大規模災害を想定した合同防災訓練に参加するなど、災害時における早急な対応を果たせるよう組織作りをして、地域の安心と安全を守る事に積極的に取り組んでおります。

若者の建設業の雇用確保の観点からも、平成二十一年度より建設産業の人材育成事業の一環として高校生を受け入れ、建設現場での実習を通して建設産業の重要性や役割等を学んで頂き、建設業への就労意欲の向上に努めております。

この度の大臣表彰は、創業以来の長きにわたり漁港漁場工事に携わった先人、先輩、社員及び関係者の努力と苦労、培ってきた技術の賜物であります。今後も先人達が作り上げた信頼を傷つけることなく、技術の研鑽・向上に努め信頼される会社作りに邁進し、社会に貢献していく所存であります。

関係各位におかれましては、今後も変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げますとともに、最後になりましたが東日本大震災で被災された地域の早期復興を願いまして受賞のお礼の言葉とさせて頂きます。

誠にありがとうございました。

平成23年度(大臣表彰者)

常によりよい技術を求め、顧客の信頼を得、地域社会への貢献を目指す
(南 修 株式会社南組代表取締役社長)
南 修

昭和三年四月の創業より八十三年、昭和三十二年四月の会社設立より五十四年を経て、この度、平成二十三年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、漁港漁場整備に携わってきた弊社にとって身に余る栄誉であり大変光栄に思っております。ご推薦くださいました北海道開発局をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

弊社は北海道様似郡様似町に所在しております。様似はサマニと読みますがアイヌ語の地名でシャマニに由来します。明治維新より前、江戸幕府の東蝦夷地経営の拠点として開拓され発展してきた街であり、眼前は無尽蔵の日高昆布が採れる豊かな海が広がり、背後にはこれも豊かな山林資源をもつ日高山脈があります。演歌で有名な襟裳岬にも近く自然環境に恵まれたところです。

弊社はこの立地条件の中で創業し、わけても昭和八年頃より様似漁港の造営工事には中心となって参画してまいりました。もちろん様似漁港だけではなく、日高地区内外の多くの港湾漁港の造営にも参画しました。昭和五十二年に非自航式起重船を昭和五十六年に自航式起重船を導入し北海道内の港湾漁港そして漁場の整備に尽力してきたと自負しております。

起重機船の「えりも」「さまに丸」は船自体は刷新しましたが、現在もその船名を踏襲し活躍しております。

平成二十三年三月十一日の東日本大震災では日高海岸一帯にも津波が押し寄せ様似町も多くの被災者がありました。弊社も一部の事務所、作業船が被災しました。

創業以来、「地域社会への貢献」を社是としてきた弊社は、地震の翌日から復旧事業に率先して携わり、町民の皆様、漁協関係者の皆様より過分な謝辞をいただきました。

弊社にとって貢献すべき地域社会とは様似町や日高地方に限られるものではありません。今回の大震災に被災した地方が全て貢献すべき地域社会であり、現在、「えりも」「さまに丸」他の作業船と社員が東北地方沿岸の被災地で港湾漁港の復旧工事に従事しております。

この度の大臣表彰受賞に心より感謝し、この栄誉にお応えするために今後も一層、地域社会に貢献し漁港漁場関係の事業に微力ながら努力して協力してまいる所存です。

最後に関係者各位の変わらぬご指導ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。誠にありがとうございました。

真に地域に必要な企業を目指して
(藤田幸洋 藤建設株式会社代表取締役)
藤田幸洋

まずもって三月に発生しました東日本大震災で多くの方々が被災されましたことに衷心よりお見舞い申し上げます。

さて、この度、平成二十三年度漁港漁場関係優良請負業者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、身に余る光栄で誠にありがたく感謝に堪えない次第でありますとともに、身の引き締まる思いであります。

ご推薦してくださいました北海道をはじめ、全日本漁港建設協会様、関係各位に衷心より感謝を申し上げます。

弊社は昭和二十六年藤田組で創業、翌二十七年に現在の藤建設株式会社として改称し、以来海洋土木工事を主体に事業を推進してまいりましたので、今回の受賞は大変ありがたく、弊社役職員一同にとって大変大きな励みになったと感じております。

弊社の位置する稚内市は日本の最北端にあり、対岸にはロシア連邦サハリン州を望むことができます。日本海、オホーツク海、宗谷海峡と三方を海に囲まれ、昔から漁業の町として発展してきました。しかし、昭和五十二年に発生した二百海里問題等様々な問題で衰退、現在は観光、一次産業、建設関連が経済の大きな部分を占めております。

特に建設関連は裾野が大きく、市内雇用の約二〇%を占めております。しかしながら公共投資の激減により、雇用環境は悪化してきております。

私は建設企業の存在理由は、地域の安全・安心を守る事と地域の雇用を守る事と思っております。この存在理由を守れなくなったら建設企業は無くなってしまう。近年の公共事業削減の流れは建設企業の存在すら危うくしているように感じております。

また我々の意識改革も必要であると考えます。私は建設業も製造業であると思っております。製造業は顧客の満足度を高めていかなくてはなりません。我々にとっての顧客は誰なのでしょうか?漁港の工事であれば顧客はそこで生産活動をする漁業者であります。彼らの満足度を高めるために、我々は何を為さなければならないのかを考え、実行していくことが必要であります。この様な企業活動が地域に理解され、認知されることが、その地域に必要される企業になることであると思います。

この名誉ある受賞を契機として真に地域に必要とされる企業を目指し、漁港・漁場関係事業に微力ながら努力を続けてまいりたいと思います。

関係各位におかれましては、今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。

『地域に根差し、信頼を得る企業』を目指して
(大坪成禧 大坪建設株式会社代表取締役)
大坪成禧

この度、平成二十三年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、漁港漁場整備工事に携わる弊社にとりまして身に余る光栄でありご推薦下さいました長崎県をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に対し衷心より感謝申し上げます。

弊社は全国でも有数の水産県である長崎県の北部に位置する平戸市に本社を置き、昭和二十九年の創業以来、公共工事の重要性に鑑み社訓である「謙虚・誠実・実行」をモットーに各種の漁港漁場工事に携わり実績を重ねてまいりました。

一例として、平成十六年度の有喜漁港防波堤災害復旧工事では、被災により転倒したケーソン6函の再浮函・再据付と云う難工事を綿密な施工計画と経験に裏打ちされた技術力を駆使して完成させました。また、平成二十二年度には阿翁浦地区広域整備工事(阿翁浦漁港3工区)において世界初の「ジャケット式構造を用いた遊水室海水交換促進型防波堤」の据付工事を行い試行錯誤の中、社を挙げて取り組み現場に即した工程管理と創意工夫により無事工期内完成を果たし、その施工能力が認められ、優良現場技術者長崎県知事表彰を受賞いたしました。

他方、地域に根差した企業を標榜するわが社の社会貢献の一環として、昭和六十一年より地元町内のサッカー大会を、平成十六年よりバトミントン大会を毎年主催し、好評を得ています。また、平成十八年に長崎県と「大規模災害発生時における支援活動(社会貢献)に関する協定」を締結し、平成二十一年には、国土交通省九州地方整備局長崎港湾・空港事務所並びに社団法人長崎県港湾漁港建設業協会において実施した大規模災害を想定した合同防災訓練にも参加、安心・安全への取り組みを積極的に展開しています。

また、漁民をはじめ各地の漁協との関わり合いを密にし、被災船の救助活動にも自社船を率先して出動させるなど地元民とのコミニュケーションの強化を図っています。

他方、若者の建設業に対する関心を深めてもらう観点から、平成二年度より高校生を対象とした建設現場見学会を皮切りに平成二十一年度から国土交通省の支援による建設業人材確保・育成事業の一環として、五日間の建設現場実習を行う等、若者の建設業に対する就労意欲の向上にも努めています。

この度の大臣表彰は、これまでの長きに亘り工事に携わった先人、先輩、社員及び関係者の努力の賜物であり、今後も技術の向上及び事業の継続的発展を図るべく全社一丸となって日々努力を傾け、信頼される企業として社会に貢献する所存であります。

結びになりましたが、全日本漁港建設協会の関係者皆様方の益々のご隆盛とご多幸をご祈念致し、変わらぬご指導ご鞭撻を承りますようお願い申し上げますと共に、遠い地よりですが東北地方の一刻も早い復興を願いつつ受賞の御礼の言葉とさせてていただきます。

誠にありがとうございました。

平成22年度(大臣表彰者)

「地域に信頼され、地域に求められる企業」を目指して
(吉本正則 株式会社吉本組代表取締役)
吉本正則

この度、平成22年度漁港漁場関係優良請負者として農林水産大臣表彰を賜わりましたことは、身に余る栄誉で、誠にありがたく感謝に堪えない次第でありますとともに、身の引き締まる思いがいたします。

ご推薦くださいました北海道をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

さて、弊社は、昭和23年創業以来、港湾・漁港・道路・環境整備等、公共工事を主体とした地域の基盤整備に努めてまいりました。昭和44年、受注が漸次増加するに伴い法人化を行い、経営基盤の強化をはかり、また、昭和55年には、港湾・漁港工事の伸展に伴い、海洋事業施工の強化を目的に本社の船舶部門と労務部門を分離し、新会社を設立いたしました。このように、組織が充実するにつれ、会社の経営理念に掲げておりますように「社会基盤の整備を通じ、地域社会への貢献と奉仕の精神をもって、社員一同が幸せになること」を目標に、常に「感謝・感激・感動」の気持を忘れずに邁進してまいりました。また、平成15年には、統合マネジメントシステム(IMS)による「品質の顧客満足」「環境保全」「労働災害の絶無」の三規格同時認証を取得し、顧客に必要とされる企業を目指してまいりました。「技術は人」を全面に、働く人が最も働き易い条件のもとで、能力を最大限発揮できるよう環境づくりを目指しております。

最近、建設業界を取り巻く環境は誠に厳しく、公共事業費も減少し続けております。また、地方の第一次産業の漁業・農業・林業も、担い手不足、従事者の高齢化、諸物価の高騰等の問題を抱え、元気がありません。

弊社も、その影響を直接的に、あるいは間接的に受けております。これらの諸問題は、謙虚に受け止め真剣に考えていかなければならない時であると思います。

「変動し続ける社会では、自分自身も変っていかなければならない」というのは、今の時代を的確に表現した言葉であろうかと思います。

弊社は、このような時代に相応しい新しい意識を持って、この名誉ある受賞を契機として、「この地域に信頼され、地域に求められる企業」を目指して努力してまいりたいと思います。

関係各位におかれましては、今後とも変らぬご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げますとともに、水産業のますますの振興にご尽力くださいますよう重ねてよろしくお願い申し上げます。

自然との調和で地域活性化、漁業の発展を
(山内 隆 山内土木株式会社代表取締役社長)
山内 隆

この度、平成22年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、漁港漁場整備に携わってきた弊社にとっては、身に余る栄誉で大変光栄に存じております。ご推薦くださいました青森県をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

弊社は、青森県北東部にまさかりの形をして突出する下北半島に所在しております。 下北半島は、北は津軽海峡、東は太平洋に臨み、南西部に陸奥湾を抱き、半島北西端の大間崎は本州の最北端にあたる緑豊かな山々と四方を海で囲まれた所です。

大正14年創業、昭和25年に法人化し、昭和30年代後半までは、下北全域に亘る漁港整備工事に携わりました。昭和51年には、70トン吊起重船、台船(1200トン)、曳船(90トン)などを自己保有し、当時、地域初の本格的海事工事施工体制を確立しました。その後、規模は縮小しましたが、現在はむつ市地域(特に脇野沢漁港を中心とする半島西通地区)の漁港漁場関係事業に携わり、事業の維持進展に邁進しております。

近年、温暖化による海水の上昇などが叫ばれている中、環境に配慮した漁港の構築に貢献するため、「海藻増養殖事業」における「青森県の藻場環境を創える会」の一員として、官・民・漁業者と一体となったこの研究推進に率先して参画しています。また、青森県が推進する「つくり育てる漁業」においては、ホタテ貝殻を利用したナマコ礁の育成事業にも積極的に参加協力し、自然環境の良好な保全思想のもと、豊かな地域環境を創造していくことが、地域の建設産業の責務と信じております。

建設市場は、長引く景気低迷と国の構造改革などで大きく削減され大変厳しい時代になっております。しかし、そういう状況でこそ、自然(環境)と人との調和を図り「よいもの」を提供していくことにより、地域の漁業活動の発展、地域の活性化につながると考えています。

この度の大臣表彰は、先人から漁港整備工事に携わった社員及び関係者の努力の賜であります。今後も、漁港漁場建設技術の更なる向上及び漁業漁場関係事業が円滑に実施できるよう全社一丸となって、日々、研鑽・努力して、地域社会に貢献して参る所存であります。関係各位におかれましては、今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻を宜しくお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。誠にありがとうございました。

「人と環境との共生」を目指して地域に貢献する
(山口雅二 株式会社三基代表取締役)
山口雅二

昭和26年7月設立以来60年を経て、この度平成22年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、水産土木・漁港整備に携わる弊社にとって大変光栄であります。ご推薦くださいました長崎県をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

長崎県は全国でも有数の水産県であり、漁港・漁場も数多く点在します。弊社は長崎県全域を営業拠点として、昭和26年設立時当初より漁港・港湾建設工事を手がけ、三重地区、新長崎漁港整備に昭和47年の工事開始時より携わらせて頂きました。また、漁場整備では各種の魚礁設置に携わらせて頂きました。実績を重ねた結果、おかげさまで着実に地元の信頼を得てまいりました。

特に、平成20年度の人工海底山脈造成工事では潮流の動きを的確に把握した精度管理を行い、その技術力を大変評価していただきました。

平成元年より、製造・販売している発泡スチロールを核にコンクリートで覆ったポンツーン「FCマリン」は、平成3年に旧運輸省から民間技術の評価を受け、九州農政局諫早湾干拓事務所をはじめ、全国各地六十箇所に設置いたしました。平成20年9月には、長崎県から当社のポンツーン「FCマリン」は「ながさき県内生産品」として登録されました。

弊社は、漁港・港湾建設工事の分野で事業展開をしてまいりましたが、その過程において自然の変遷、資源の消費、廃棄物の発生、地球環境に対する様々な影響を考え、環境への配慮等の責任を果たすため、平成13年4月、環境(ISO竏窒P4001)マネジメントシステムを県内同業者の中では最初に取得・構築し、「人と環境との共生」をテーマに活動を続けております。

また水産工学技士等の資格取得を推進するなど人材育成に努め、企業体質の強化を図っております。

地域への貢献として、平成17年より県内の清掃美化活動を行う「愛護団体」登録し、本社近隣の清掃活動を行っています。また、同年に長崎県と「大規模災害発生時における支援活動(社会貢献)に関する協定」を締結し、平成18年9月には大雨による道路陥没災害現場へ出動し支援活動を行いました。他にも地域沿岸での沈没船引揚等にも積極的に参加しています。

この度の大臣表彰受賞に心より感謝し、この栄誉にお応えするため弊社六十周年への新たなスタートとし、これからも地域の方々から必要とされる企業として地域に貢献し漁港・漁場関係の整備事業に微力ながら努力してまいります。

最後に、関係者各位の変わらぬご指導ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。

平成21年度(大臣表彰者)

豊かな自然の保護や沿岸資源増大に貢献できる企業へ
(小針武志 小針土建株式会社代表取締役社長)
小針武志

この度、平成21年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、水産土木事業に携わる者として大変光栄に存じます。ご推薦くださいました北海道をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

顧みますと弊社は大正10年に創業、昭和25年に設立し、同42年に漁港建設工事に着手、同53年に「地域の基幹産業のひとつである水産業の発展に資する」ことを目的としてクレーン船を新造し、漁港漁場整備事業に本格的に参入いたしました。以来、根室海峡沿岸地域を中心として、東北海道全域の漁港漁場の建設に携わって参りました。この様ななか、根室海峡・オホーツク海・太平洋の海を知り、四季の特徴を知ることにより、各沿岸での施工を進めて参りました。また、地域とのコミュニケーションを重視し、様々な社会的要請に応えられる体制づくりに向け、品質・環境・労働安全衛生のマネジメントシステムを導入し、継続的な地域貢献活動や海難救助等災害協力体制への積極的な参加に努めて参りました。

さて、弊社のあります北海道中標津町は、根釧原野の東部、根室地方に位置し、羽田空港から空路1時間40分、神秘の湖摩周湖や北海道自然遺産の格子状防風林を眺めながらの直行便により、根室地方の玄関口として機能しております。また、隣接する根室管内三町は、北に世界自然遺産の知床連峰を仰ぎ、東に北方領土・国後島を望む根室海峡、南に全国有数の漁獲高を誇る根室半島を擁し、さけ・ます、スケトウダラ、サンマ、ホタテ貝等の漁船漁業とコンブ、ウニ、あさり、北海しまえび等の採貝藻漁業からなる、豊かな海産物に恵まれた漁業地域であります。

全国的に磯焼けや藻場の喪失が懸念され、海水温の上昇等の問題も叫ばれており、当地域も例外ではないと認識しております。豊かな自然の保護、地域の沿岸資源増大のため、質の高い増殖場や魚礁の整備に努めるとともに、衛生的にも機能的にも優れた漁港の構築に貢献できるよう、一層の技術の研鑽に努めて参る所存でございます。

最後に、この機を新たなスタートとし、漁港漁場整備事業の発展のため、今後も微力ながら鋭意専心して参る所存でございます。関係者各位の変わらぬご指導、ご鞭撻を心からお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。誠にありがとうございました。

漁港・漁場整備を通じ地域と歩む
(金野 健 株式会社明和土木代表取締役)
金野 健

昭和43年7月30日、夢と希望を抱き建設業の大海原に船出して以来40年、平成21年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、漁港漁場整備に総力を傾注してきた弊社にとって至極の喜びであります。推薦をいただいた岩手県をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

弊社は県最南端の気仙地方を営業拠点としております。三陸沖は世界三大漁場のひとつであり、親潮と黒潮、対馬暖流が交錯して複雑な潮境を生みだし、そのため暖流系の魚や寒流系の魚が多く獲れます。海岸はリアス式で深く岩礁や砂礫質でアワビ、ワカメ、コンブ、ウニ、ナマコなどの魚介類も豊富です。このような環境の下、創立当初から漁港工事を手掛け、主に陸前高田市の要谷漁港、長部漁港、脇之沢漁港、両替漁港、矢の浦漁港、根岬漁港では地域の皆様からのご支援とご指導を頂きながら技術の研鑽に励んでまいりました。規模は決して大きなものではありませんが、地域には必要欠くべからずの漁港であり、地域産業の根幹をなす施設であります。 その整備に長年従事できたということは誇り高きことであり、そしてその功績が認められたこの度の農林水産大臣表彰は何物にも勝る栄誉であると自負しております。

時代の趨勢と共に漁港漁場整備の形態も変化し、私たちの頭も手もそれらに伴って変化しなければなりません。この10年で公共工事を取り巻く環境は大きく変化しました。漁港から漁村へ、個々の生活の場からコミュニティーの形成へ。私たちも時代に即した頭と手を日々の研鑽と努力により磨き続けてまいりました。その中で環境問題は避けて通ることのできない取組であります。私たちは、『社員一人一人から始めるエコ』を実践するべくエコアクション21の認定を受けました。小さくてもひとつひとつの積み重ねが将来の大きな花になる。まさしく私共の理念であり、その結果として大臣表彰に結実したと確信しております。昨今は、ただ建設構造物を作りさえすれば良いと言う時代ではありません。地域・社会貢献は私たちの存在意義でもあります。将来に禍根を残すことなく地域と共に成長できる企業であり続けます。

この度の大臣表彰は、創業者(金野 馨)、創立以来の漁港漁場工事に関わった多くの社員、関係者の努力と苦労の賜であります。今後もこの先人のご苦労に報いるべく地域の皆様と共に水産業の発展を支える漁港、漁場の整備と生活の場である漁村集落環境の整備に寄与してまいります。

関係各位におかれましては、今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻を宜しくお願い申し上げますと共に、水産業の益々の振興にご尽力くださいますよう重ねて何卒宜しくお願い申し上げます。

先人達への思い
(佐野茂樹 青木建設株式会社代表取締役)
佐野茂樹

この度、平成21年度漁港漁場関係優良請負者として農林水産大臣彰を賜りましたことは、身に余る栄誉で、誠に有難く感謝に堪えない次第でありますと共に、身の引きしまる思いが致します。

御推薦下さった静岡県御当局はじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に心より深く感謝申し上げます。

弊社は、県の東端、熱海市に所在し、昭和25年の創業以来、漁港・港湾整備事業を中心に歩んでまいりました。

当県には、総数で49の漁港があり、我が社の活動拠点である伊豆半島には、37港が点在しています。その中には我が社の漁港整備の歴史と言っても過言ではない第3種漁港の網代漁港と稲取漁港、第2種の戸田漁港、第4種(静岡県で唯一の離島)の初島漁港があります。いずれの漁港も先人達が創業時より、防波堤縲怺ン壁縲恆D揚場縲恆D溜りと徐々に漁港の型を完成させてまいりました。

考えますと、当時はそれほどの建設機械設備があるわけでもなく、また厳しい自然環境、厳しい気象条件を相手に苦労してきた功績は、一言では語り尽くせるものではありません。特に、熱海港の沖合約10kmの初島漁港は海象条件がまったく異なり、資機材の運搬などで、どれだけの失敗や挫折があったことか・・・。

さて、現在の私共は、幾多の困難を乗り越えてきた先人達の功績の下で、漁港・漁場関係事業を引き継ぎ、また次世代に良い環境を引き渡すべく、日々邁進しています。

昔と比べると漁港・漁場関係事業も変化し、ハード・ソフトの両面、また漁業自体も獲る漁業から育てる漁業、また守る漁業、そして漁村の活性化などと、数多い漁業情勢の変化に色々な面からの整備が必要とされてきております。

今、日本の第一次産業の元気がありません。漁業・農業・林業と、担い手不足、従事者の高齢化、諸物価の高騰等、皆同じ問題で悩んでおります。しかし、このような時こそ我が国の水産業の競争力を復活させる良い機会と考えるべきではないでしょうか。我々の産業は自然を相手に、環境に配慮し、創造する産業、いわば第1・5次産業であり正に世界は今、環境を守り、食を守る時代であります。

漁港・漁場関係事業に関わる我々には、大きな誇りと重大な責任があると思うところであります。この度の受賞はまさしく、先人達の苦労の賜であり、我々は受賞の感謝を心に銘じ、この栄誉にお応えすべく、なお一層心を新たに地域に貢献し、漁港・漁場関係の整備事業の発展のため更に研鑽・努力して参る所存であります。

関係各位のご指導、ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。

平成20年度(大臣表彰者)

焼津漁港とともに
(田村幸一 静和工業株式会社代表取締役社長)
田村幸一

このたび平成20年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことはまことに光栄の極みであります。ご推薦くださいました静岡県ご当局をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位に衷心より感謝申し上げます。

顧みますれば、弊社の歴史は港湾、それも焼津漁港とともに歩んできたと言っても過言ではありません。焼津漁港は静岡市の西隣に接する焼津市にある県管理の特定第3種漁港で、関東と関西圏の中央に位置する立地条件の良さや港内の静穏度等により、全国有数の遠洋・沖合漁業の基地として平成18年度の水揚げ量はかつお、まぐろを中心に全国2位を誇っております。

弊社は創業の昭和27年、この焼津漁港修築工事においてケーソン製作工事を受注するやほとんど毎年のように焼津漁港の事業に携わる機会を得たのであります。これ以降、ケーソン据付、岸壁、浚渫、護岸、消波、防波堤、離岸提、舗装等々数々の工事を経験することにより技術を培い、後に清水港や御前崎港などの物流港湾や他の中小漁港事業へ進出の大きな礎を得ることになるのであります。

このように港湾、海上工事に寄せる先人の熱意は並大抵ではなく、創業3年後の昭和30年には既に20t吊起重機船を建造する状況でありました。現在も250t吊全旋回式クレーン船1隻、小型船4隻を保有し、効率的且つ安全に大きな海上工事を施工できる体制を整えております。

ところで焼津漁港は「焼津地区」と「小川地区」の2地区があり、平成17年「焼津新港」の完成とともに「焼津新港」に「旧焼津港」にあった遠洋漁業機能の全てを移転、「小川地区」にはさば、あじの沿岸・沖合漁業基地機能を集約し分担を計っております。

現在は、高波高潮や東海地震に対する防潮堤施設、避難所も整備され、弊社が受注したジャケット(鋼トラス)式桟橋工法の遠洋漁業用大型冷凍運搬船(10,000t級)マイナス9m岸壁も平成19年に供用開始しております。また「新港」「小川」地区間の埋立て造成による一体化と、造成地への新たに深層水を利用した水産業や水産加工業の情報研究拠点のほかに、親水公園や多目的広場など第三者のための「海をたのしむ」施設整備が進行中であります。こうした総合水産都市「焼津」の形成は、近々隣接大井川町との合併が予定されている焼津市にとって新たな局面を迎えるでしょう。

近年の漁業を巡る情勢は、漁獲量の減少、担い手不足、高齢化や減船など大きく変化しており、過去のハードの整備にとどまらず、漁場を含めた多角的機能整備が求められております。

このたびの受賞を機に、なお一層の技術の研鑽に努め、変革する地域水産業に的確に対応、貢献してまいるのが使命と考えておりますので関係各位のご指導をよろしくお願い申し上げます。

農林水産大臣表彰受賞にあたって
(山下隆士 山下産業株式会社代表取締役)
山下隆士

このたび、平成20年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、創業以来半世紀をこえて漁港漁場整備に一意専心、日々努力傾注してきた当社にとって誠に光栄の至りであります。ご推薦いただいた宮崎県ご当局をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位のご指導、ご協力の賜物であると心より深く感謝申し上げる次第です。

弊社は、昭和29年の創業以来、地元宮崎県の港湾工事を文字通り地道に携わって参りました。

弊社の位置する県最南端の串間市は、野生馬が嘶きをあげる都井岬を有する自然豊かなところですが、市及びその周辺地域の漁港・漁場といいましても、規模は決して大きいものではありません。

そのような周辺環境のもと、弊社は、とりわけ地域住民とのコミュニケーションを大切にして参りました。もちろん、意見集約の難しさに悩むことも一度や二度ではありませんでしたが、実際に漁港漁場を使い、足を運ぶ方々の意見反映なくしてはよりよい工事はできないとの考えから、工事の規模の大小に関わらず、この点を徹底して参りました。その結果、「血が通った」完成度の高い工事ができたものと自負しております。

一方、弊社では、社員の職場環境における安全及び健康の点も重視して参りました。

社員もこの地域に住む市民の一人であり、社員が元気でないと地域が、ひいては水産業が元気にならないという思いからです。

「ムリ、ムダ、ムラはいけない。」とのスローガンのもと、安全、健康の維持管理に努めてきました。

もとより今回の受賞にあたり、弊社の技術力、多数の資格者の存在を評価いただいたことは、私以上に社員ひとりひとりの大きい自信、励みになります。

今般の受賞は、折りしも日本で地球環境サミットが開かれた時期となります。21世紀は「食糧」と「環境」の世紀と呼ばれ、地球環境の保全並びに食の安全保障が正面から議論されています。そのような時期にあって、この両方に直接関わる漁港、漁場整備に関わる企業であったこと、また、これまでの弊社の歩みを評価いただけたことは、光栄であると同時に、重大な責任を痛感しているところであります。漁港、漁場整備を通じて、次世代に安全な「食糧」と確かな「環境」を引き継ぐことの責任に身が引きしまる思いです。

このたびの大臣表彰は、弊社に関係のあったすべての方々、社員、支える家族、すなわちこれまでの一つ一つの仕事への関係者全員の思いの結実です。

今後も、この受賞で得た自信を胸に、再び社員一同でより一層研鑽し、血が通った心ある企業として、水産業の発展を支える漁港、漁場の整備に寄与して参ります。

これまでと変わらない関係各位のご指導、ご鞭撻を何卒何卒宜しくお願い申し上げます。

漁港漁場関係事業優良請負者表彰を受賞に際して
(植村 久 株式会社植村組代表取締役)
植村 久

この度、平成20年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、誠に光栄の至りでありますと同時に身の引き締まる思いが致します。これもひとえにご推薦下さいました県ご当局を始め、関係者各位、全日本漁港建設協会の皆様方のご指導、ご協力の賜と心から深く感謝申し上げる次第でございます。

弊社は昭和26年の創業以来57年間、土木建設業を通じ、数多くの漁港・港湾工事を手掛けてまいりました。いくつかご紹介いたしますと、今では篤姫の生家として有名となった今和泉島津家のある今和泉漁港や西郷隆盛も一時住んでいた奄美大島や徳之島の大熊、松原漁港、山(サン)漁港などの工事を施工してまいりました。離島で行う工事には、材料の調達から、以前は台風銀座と呼ばれた様な気象条件を相手に一喜一憂を繰り返す現場の苦労は大変なものがありました。それらを振り返る中で鹿児島県が如何に南北に長く、各地の拠点として点在する漁港が如何に地元の皆様にとって必要不可欠なものであるかを改めて実感する時、多少なりとも地域に貢献し得たのではないかと思っております。

近年、公共工事を取り巻く環境はこれまでにない早さで変化し続けております。我々もこの早さに対応し、経営の舵取りをしていかなければなりません。公共事業に対して求められている品質の確保はもちろんのことコンプライアンスの遵守、自然環境への配慮など、我々はこれらの期待に応えていかねばなりません。

これら課題の中から自然環境への取り組みとして、弊社の関連会社で行っている貝化石事業についてお話します。

文字通り貝の化石なのですが、貝の化石が層をなして存在しており、その貝化石を用いた飼料での養豚、養鰻などでその効能が認められております。浄化や成長助成と云った効能のある貝化石を漁港や漁場へ活用できないかと研究を重ねているところであります。今までに出水郡長島町獅子島の養殖場にて試験散布し水質改善の効果が認められたことや、魚礁ブロックの海草類育成への効果など研究の成果が形になりつつあります。なお一層の研究・開発を続け、工事とは違った分野でも、地域に貢献できればと思いを馳せているところであります。

最後にこの度の表彰は、弊社にとって漁港工事に関わった多くの社員、関係者の苦労の賜であります。今後も地域とともに水産土木業界の発展のために努力を重ねて参る所存でありますので、関係者各位のご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。誠にありがとうございました。

平成19年度(大臣表彰者)

下北半島「むつ市」とともに
(杉山東幹 杉山建設工業株式会社代表取締役)
杉山東幹

この度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、誠に有り難く、光栄の極みであると同時に身の引き締まる思いであります。ご推薦下さいました県ご当局を始め、関係各位、全日本漁港建設協会の皆様方へ紙面をお借りし、心から感謝申し上げる次第であります。

顧みますれば、当社は昭和24年の創業以来57年間、土木建設業を通じ、昭和27年から漁港関係工事に着手し、永年手掛けてまいりましたが、特に漁港工事は気象海象の厳しい作業が中心となることから、作業員が安全且つ効率的に作業ができるよう苦心した時代が今更ながら心をよぎることがあります。

作業は木造船から鋼鉄船に、クレーン船・大型起重機船へと移行し、工事現場の自然環境の配慮に取組み、近年は常に最新技術等にも目を凝らしながら、公共事業の厳しい環境変化に対応しなければならない時世へ突入した感じに、思い沈むことも屡々であります。会社経営は勿論のことではありますが、「地域の方々の信頼」と「地域発展に貢献」すると言う社訓を旨としながら、一つ一つの課題と取り組み健全な漁港・漁場・漁村の活性化へ微力を尽くしてまいりました。

この度の表彰受賞を契機になお一層研鑽し、地域を愛し、地域への還元に務め地域の方々に喜んで貰える環境創りに挑戦して参りたいと考えている次第であります。

近年、本県漁業受益者は沿岸沖合漁業を中心に漁獲をしてきましたが、以前のような良好な漁場は海藻類の激減する磯焼け等々で想像以上に変貌し、その再生と保全に向け産卵礁・藻場増養殖礁等の設置に取り組む漁業協同組合も数多く見られるようになりました。一方、冬期(10月から3月頃が美味しい)は厳寒の下北半島大間崎漁場は全国でも有数の「本マグロ」の漁獲海域でもあり、漁場狭しと「マグロ」の一本釣り漁が盛んで、氷詰め処理された大物は東京築地市場の競りへ委ねられ、数百万円で競り落とされる様子は漁師にとって、まさに天の恵みにあやかってのことであります。

限りある資源を乱獲せず、造り育てる漁業への気配り取組も忘れないようにして頂きたいものであります。

このような現況の中で、漁港漁場関係整備に携わる一人として、平成16年に「青森県の藻場環境を創える会」を創設しました。この会では、全日本漁港建設協会本部はじめ青森県・県水産総合研究センター・藻場造成学識経験者・漁業協同組合等のご支援を得て、漁場環境の回復へ向け「むつ湾地先アマモ場再生研究事業」の取組を始め、日本海砂浜域に藻場増養殖場並びに産卵試験礁(1+3基)の設置にも着手しております。我々はその後の追跡調査結果等を関係機関と検討しながら漁場の再生に結びつけていくことも使命と認識しております。

終わりに、全日本漁港建設協会会員各位の一層のご支援を戴きながら、水産土木業界発展のために努力を重ねて参る所存でありますので、関係各位のご指導をよろしくお願い申し上げます。

漁港漁場関係事業優良請負者表彰を受賞して
(株本順夫 株本建設工業株式会社代表取締役会長)
株本順夫

この度、平成19年度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、誠に光栄の至りであります。ご推薦下さいました兵庫県ご当局をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位のご指導、ご協力の賜と衷心より深く感謝申し上げます。

弊社は、昭和12年創業以来、「真心のこもった仕事」を信条として、深く地域の公共工事に携わって参りました。

弊社のある新温泉町は、兵庫県の最西北端に位置し、東は美方郡香美町、西は鳥取県岩美郡岩美町に境し、北は日本海に面しております。その海岸線は、山陰海岸国立公園内の一部として、落差100m以上の断崖・柱状節理の奇岩、無数の洞門があり、「但馬御火浦」と呼ばれる名勝天然記念物に指定されております。また沿岸・沖合域は対馬暖流が流れる好漁場をなし、沖合底引き網、沖合イカ釣り漁業を中心に漁が行われ、古くから大きな海の恩恵を受けてまいりました。今では、松葉ガニやホタルイカ、ハタハタなどで全国有数の漁獲量を誇っています。沿岸には、東から三尾、浜坂、諸寄、釜屋、居組の5つの漁港がありますが、中でも浜坂漁港は、中核港として戦後漁民、町民の長年の悲願であった新漁港の修築工事が昭和23年10月兵庫県によって始められました。

当初外港築造で着工されましたが、折角の堤体も冬期間の烈しい風浪によって流失を繰り返しました。その結果工法が陸地を掘削していく内港方式に変更されて漸く築造の見通しがたつようになりました。その後、主たる工事は昭和41年より現在の請負方式に切替えられますが、弊社はそれ以前の県直営工事の一部を浜坂土木出張所より受注し築港に協力しておりました。当時浜坂海岸は、荒波が発生しやすく工事用起重機船等作業船の避難する港が無く、地元の浜坂港はもとより、諸寄、居組港も工事中で漁船の泊地さえ困難していましたが、年と共に漸次修築が進行し、工事用船舶も何とか仮泊が可能となりました。又、日本海特有の北西風による激浪の為、過去の防波堤の上部コンクリート工事に於いて何度も組み上げた型枠や時には積み上げられたセメント、又、ミキサー、コンベヤーまでが流される難工事であった事が深く記憶に残っております。今では、漁船の大型化に対応した岸壁整備や漁船入港時の安全を図るための沖防波堤の整備も整い、現在は水産業の活性化を実現することを目的に諸寄と浜坂漁港を繋ぐ漁港関連道の整備が進められているところです。

今後はいよいよ排他的経済水域における水産資源の生産力の向上を目指したフロンティア漁場整備事業により、日本海西部海域において、ズワイガニ、アカガレイの産卵、育成場を確保するための保護育成礁を設置する事業が来年度より本格的に着手される見通しであります。地方経済の疲弊や漁業者の減少と高齢化が大変深刻になっていますが、その事業によってこの地域の漁港、漁場の活性化に繋がる事を大いに期待しております。

この度の表彰は微力な私にとっては凡そ50年の間、漁港工事に携わった多くの人達の功労の賜であり、今後も地域に於いて水産業の発展に貢献して参りたいと思います。改めて、誠にありがとうございました。

平成18年度(大臣表彰者)

「しょっぱい仕事」のプロを目指す
(菅原 徹 株式会社菅原組代表取締役社長)
菅原 徹

この度、漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣表彰を賜りましたことは、誠に光栄の至りであります。全国で数千社ある業者の中で毎年3社しか表彰されないとお聞きし、身の引き締まる思いであります。ご推薦下さいました関係各位、全日本漁港建設協会会員の皆様をはじめ、お世話になった方々に心より感謝申し上げます。

弊社は、昭和31年創業以来、海と港の仕事にこだわり続け、今年創業50周年を迎え新たな前進に向けて奮起を社内で誓っていただけに、この度の受賞はより重いものであり、改めて責任の重大さを痛感しております。

弊社は、「国民の財産である港湾・漁港、土木構造物をしっかり作り込むことにより社会に役立つ企業」を経営理念として「特色ある経営」「人間重視の経営」「地域共生の経営」を三本柱として、“しょっぱい”仕事(海の仕事)のプロフェッショナルを目指し、自社作業船、直営施工班を大事に育て一貫施工の体制を維持してきました。この事により、品質・工期・コストの改善を続け顧客の満足と信頼を得るとともに、公共事業に参加している一員として雇用の確保をはじめとした地域貢献に微力を尽くしてまいりました。特に漁港漁場関係事業を主体とする施工者として、利用者である漁業者の身近にいる事が多く、漁業者のお役に立てないかと漁業者との対話を重視してきました。お陰様で当社従業員は漁業からの出身者も多いこともあり、地元とのコミュニケーションを喜びにしている者が多く、こうした漁業者との対話の中で、海の潮流、海流を利用した自分の力でブロック礁を掃除できる“自掃装置付水産協調ブロック”(「シェイブ・ロック」)を開発し、今年1月に特許が許諾されております。これは「魚礁ブロックは設置した後の雑草駆除などのメンテナンスが大事だ」という漁業者の声を発想の原点とし、漁業者自身が重い負担を持たず作業が可能な手段をアイデアとしたものです。

昨今、自然環境の変化の中で、漁業・水産業の重要さの再認識が広がっています。一方で、地方経済の疲弊や漁業者の高年齢化が深刻になっています。豊かな海、元気な漁村こそが四方海に囲まれた日本の持続と発展に必要です。

農業分野で進んでいる会社(法人)の進出「特区」などを漁業・水産業分野でも可能な時代にする事で、「自然と建設の共生」がすすむのではないかと考えています。

弊社も今回の受賞に恥じぬよう一層研鑽し、水産業と建設業の発展に努力すべきと思っております。今後とも、関係各位の変わらぬご指導よろしくお願い申し上げます。

「豊かな但馬・香住の海のために」
(中村 曉 合資会社中村組代表社員)
中村 曉

この度、平成18年度漁港漁場関係事業優良請負者として、農林水産大臣よリ表彰を賜りましたことは、誠に光栄の極みであります。兵庫県ご当局をはじめ、全日本漁港建設協会、関係各位のご指導、ご鞭撻の賜と衷心より深く感謝を申し上げます。

兵庫県は、北は日本海、南は瀬戸内海・太平洋という極めて対照的な海域を有し、長い海岸線と豊かな漁場に恵まれ、それぞれ独自の漁場形態と海洋文化を生み出しながら、今日まで活発な漁業生産活動がなされてきました。

弊社は大正8年(1919年)、兵庫県北部、山陰・但馬の地『香住』に創業させていただき、地域振興のため、漁港漁場建設工事をはじめ、あらゆる建設事業に携わらせていただきました。

四季のハッキリしている『香住』。冬、小雪が舞い、人々のはく息が車のライトに白く照らされます。夜がまだ明けやらぬ漁港の市場に鐘が鳴り、独特の言い回しの言葉が飛び交い、セリ市が始まります。陸揚げされた多くの松葉ガニ、カレイ、ハタハタが、熱気につつまれ次々にセリ落とされていきます。冬の『香住のさかな』は特別に美味い。香住で生まれ、育ち、香住に住むよろこびをいっぱいに感じる時です。

特に『漁業のまち・さかなのまち・香住』と言われるように、香住の漁業はあらゆる工夫をして早くから動力船の導入により沖合漁業に手がけられました。近代的な漁港の建設は昭和4年に始められ、その漁港の建設に多くの人々が関わり、その努力により今の『香住の漁港』が築かれてきました。

しかし、近年の水産業をとりまく情勢は、わが国周辺水域における漁業資源の低下、漁業就業者の減少と高齢化等、厳しい環境下にあります。 兵庫県でも作り育てる漁業へと広域型、沖合い漁場の整備にカを注いでいただき、その事業拡大に期待をするところです。

ところで、日本の沿岸では、海藻の育たない磯焼け海域が多くなっているようですが、但馬の沿岸でもそのような現象がみられるようになりました。山林の荒廃にも一因があるのでしょう。

香住では海の者たちが山の人たちとの交流を深めながら、河川上流域の山地に広葉樹を植えて私たちの海を守ろうと、民間団体「ふるさと香住塾」が立ち上がりました。十数年にわたる活動が続けられています。

このような中、漁港漁場建設工事に携わる者たちとして自らの手で、数年前に「日本海、但馬の海を考える会」を立ち上げ、漁業者と共に海藻(コンブ)養殖実証実験に着手しました。沿岸域の環境を再生させることで昔の海をとりもどし、ひいては海藻ビジネスヘとつなげる歩みを始めました。日本各地でこのような取り組みをされておられる多くの先輩に学び、自然豊かな但馬の海を守り、創造することは、企業としての社会へ対する使命の一つでもあると考えます。

全日本漁港建設業協会の一員であることに誇りをもち、今日までお支えいただいた皆様に感謝をし、この度の受賞にあたってのお礼と致します。

地域に貢献できる企業へ
(小牟禮純哉 株式会社西園組代表取締役会長)
小牟禮純哉

この度、平成18年度漁港漁場整備事業優良請負者としての栄えある農林水産大臣表彰を賜りましたことは、誠に光栄の至りであると共に身の引き締まる思いで一杯でございます。

ご推薦下さいました全日本漁港建設協会会員の皆様方を始め、ご尽力頂きました関係各位の皆々様に心より有難く深く感謝申し上げます。

おもいますに社会人としての会社勤めから東京都立町田工業高校での機械科教諭として昭和40年から8年間教鞭をとりましたが、昭和48年3月退職し妻の実家の仕事を継ぐために㈱西園組に入社しました。昭和56年5月に代表取締役社長に就任、平成13年8月代表取締役会長に就任し現在に至っております。その間の20年間各種団体の役員を兼ねながら事業主として企業の繁栄と地域の活性化に取組んでまいり、人材の育成、技術力の研鑚に努め、地場産業育成に広く貢献する企業としての一翼を担ってまいりました。

地元漁民祭への参画に始まり地元NPO団体からの協力依頼で台風の接近する中、海上航路の見張り番役として親しまれてきた五人番所のアコウの大木(推定樹齢300年)を海上輸送して公園移植、大変な作業で地元テレビのドキメント番組としても放映されました。

本県水産業においては、かつおまぐろ漁業を始め、沿岸沖合漁業や養殖漁業が盛んであり、近年では恵まれた海域特性を活かした栽培漁業や資源管理型漁業などの事業として多くの漁港を抱えており、最近では藻場回復のため、鹿児島県指宿市の今和泉漁港周辺に異形ブロック(5トン)に種子を植付けて設置(平成17年3月)し、本年度は我々協会の組織『海中養殖林検討委員会』において藻場調査のため、方塊(2m×6m)1対2勾配4箇所設置予定で計画しており当社も船舶等による調査協力しながら、漁港の施設整備から漁場増殖場の造成、水産試験施設等地域の発展に社内一丸となって取り組んでまいりました。微力ながら貢献できたとも思っております。

建設業に従事して33年間、中でも団体役員として鹿児島県建設業協会指宿支部長、建設業労働災害防止協会鹿児島支部指宿分会長、鹿児島県港湾漁港建設協会安全対策委員長として10年間に亘り人命の尊さと安全の優先を誰よりも認識している者の一人と自負しております。

今後も微力ながら業界のために尽力できることを心の糧として取組んでまいりたいと想っております。誠にありがとうございました。

平成17年度(大臣表彰者)

漁港漁場関係事業優良請負者表彰を受賞して
(酒井秀男 酒井建設株式会社代表取締役)
酒井秀男

この度の受賞に当たりましては、関係各位のご指導、ご鞭撻、ご協力の賜と衷心より感謝申し上げます。

当地は全国的に有名な競走馬の生産地であり、学名「みついし昆布」として知られている昆布の産地でもあります。当社は、昭和25年の創業以来、既に半世紀を過ぎましたが、漁港関係工事の始まりは、昭和40年の北海道室蘭土木現業所発注の「荻伏漁港東防波堤災害復旧工事」と同42年の北海道開発局室蘭開発建設部発注の「三石漁港東防波堤災害復旧工事」でした。当時は、施工機械が未発達で人力に頼らざるを得ず、工事の完成には幾多の苦難を強いられましたので、漁港工事を受注する業者は殆どありませんでした。昭和26年の第1次漁港整備計画から現在は『漁港漁場整備長期計画』として各地で事業が展開されていますが、そのニーズに合わせ当社では、昭和51年に最初の作業船を建造し、起重機船は力持ちの「べんけい号」、曳船は「義経丸」、「牛若丸」と名付け、現在は4船団で港湾・漁港、漁場整備事業に携わっています。

当時は漁業資源が豊富で、漁港にも活気がありましたが、新海洋秩序の世界的なうねりから、漁獲制限、水産物の輸入の増加、資源状況の悪化など漁業環境が一変し、北海道漁業は危機的な状況に陥ってしまいました。漁港建設は百年の計として携わってきた当社としても、漁業を取り巻く現状を危惧しています。

21世紀は「食糧」と「環境」の世紀といわれ、世界の水産物需給は人口増加により将来逼迫すると予測される中、水産業には環境と調和しながら水産物を安定供給していくという大きな使命があります。そのためにも、北海道の漁業が見直され、同時に漁港が有効利用されることを希ってやみません。

今般、屋久島と白神山地につづき、知床の陸域と海域一帯が世界遺産への登録が確実とみられ、この地域の海洋生態系を保護することは、水産資源保護に繋がる朗報と思っています。大自然が数多く残る択捉島、国後島で陸揚げの仕事をした当社としては、近い将来北方四島を含めて世界遺産となり、千島列島など広域的な漁業資源保護に発展し、次世紀の人間と自然の共生、共存へと未来に継承されていくことを願っております。

この度の大臣表彰は、振り返ってみますと海洋土木工事40年の間に工事に携わった多くの人たちの賜であり、この栄誉ある受賞に深く感激しているところでございます。これからは、この受賞に恥じないよう一層研鑽し、水産業の発展に貢献して参ります。関係各位のご指導をよろしくお願い申し上げます。

伊勢海老の天丼
(河津市元 河津建設株式会社代表取締役社長)
河津市元

この度漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣より表彰を賜りましたことは、誠に有難く、光栄の至りであると共に身の引き締まる思いであります。

弊社は大正3年、伊豆の下田にて創業以来九十数年の歴史を積み重ねてまいりました。丁度その同じ年、東京駅のレンガ造りの駅舎が開業いたしました。

伊豆の下田は幕末のアメリカ海軍ペリー艦隊の黒船就航以来、開国の歴史の表舞台に登場してくる町でありますが、魚介類の宝庫としても多くの観光客を惹きつけています。

伊豆半島は険しい山々が海までそそり立つ大変厳しい地形をしており、その隙間に小さな漁村が点在しています。しかし、急峻な地形ゆえに開発から遅れをとり、逆に豊かな自然環境が今でも息づいている地域でもあります。伊豆の海藻の種類、豊富さは日本でも指折りの地域と聞いておりますし、海藻の博物館のようだとも言われます。「磯焼け」という言葉は伊豆が発祥の地であり「ひじき」「わかめ」タイプの産地は静岡県下田となっています。

今から約40縲怩T0年前、伊豆の沿岸には豊かな海が広がっていました。私が子供の頃には下田近郊の磯場は貝類も豊富で、その先の海中は豊かな海藻と魚介類の宝庫でありました。

年末の忙しい時期になると家では「てんやもの」を取り寄せますが、伊勢エビの上天丼を食べさせてもらえることが子供心に暮れの楽しみになっていました。その美味しさの記憶をたどると当時の豊富な魚介類の「豊かな海」の記憶も呼び戻ってきます。今では高値の華となってしまった伊勢エビ天丼を懐かしむと共に、自然環境の豊かさや多様性の中での生活こそが「真の豊かさ」であると実感します。

自社船十数隻を駆使しての海洋土木工事を通じてこの自然環境の再生、地域産業の再生に参加、協力できることはこの上もない喜びであり、今後もこの受賞を機会に、より良い技術を磨き、地域に貢献できるように努力していきたいと考えています。

今回図らずも表彰の栄を賜りましたが、これも偏に常日頃から弊社の施工にご協力をいただいている協力会社の皆様や全日本漁港建設協会並びに漁港、漁場関係各位のご理解の賜物であると、改めて御礼申し上げますと共に皆様の今後益々のご繁栄をお祈り申し上げます。

地域の発展に貢献する
(大字邦夫 大字建設株式会社代表取締役会長)
大字邦夫

さる5月12日、平成17年度漁港漁場整備事業優良請負者として、農林水産大臣表彰を賜りましたことは、誠に光栄の極みであります。ご推薦下さいました関係各位、全日本漁港建設協会会員の皆様をはじめ、お世話になった方々に心より感謝申し上げます。

弊社は、明治35年創業以来、香川県東かがわ市に本社を置き、「地域の発展に貢献する(いい物を、より安く、安全に)」を経営理念として、漁港、道路、河川、治山等、海から山まで広範囲な社会資本整備の一翼を担ってきました。特に、香川県の水産業が、瀬戸内海に点在する多くの島により変化に富んだ海底地形となっているため、好漁場に恵まれ、多種多様な漁船漁業に加え、波穏やかな海面を利用した養殖業が早くから発展してきたことから、漁港の整備も昭和20年代より進められてきたところであります。

また、当地東かがわ市は、ハマチ養殖発祥の地として全国に知られており、ハマチ、タイ、ノリ等の養殖業が盛んで、小型底びき網、定置網、パッチ網等、漁業種類も多様で、香川県水産業の拠点的な地域であります。

漁業関係の最近の話題としては、ハマチ、ブリ、カンパチ、タイ、などをフィレ(三枚おろし)に産直加工できる県漁連の「引田水産加工センター」が引田漁港に隣接して操業開始されたことや、ハマチ養殖イケスでの餌やりなど海や魚と触れて・遊んで・学べる漁業体験学習施設「マーレリッコ」(イタリア語で【豊かな海】という意味)が日本で初めてハマチの養殖が行われた安戸池でオープンされたことが挙げられます。また、昨秋には、「第24回全国豊かな海づくり大会」が香川県で開催され、大会後、天皇陛下から「種ぐさのいのち育くむ藻場にせむと小さきあまもの苗を手渡す」とお詠みになった御製をお示しいただき「海の森づくり」の認識を新たにしました。

我社は、このような地域環境の中で事業を展開している関係で、長年にわたり漁港・漁場整備事業に少なからず係わらせていただいてきました。防波堤や物揚場の施設整備に始まり、増殖場の造成工事、利用形態の変化に伴う施設改良や、住民参加施設の整備等と、時の流れとともに要求される整備内容も変わってきましたが、一貫して、地域の発展に微力ながらも貢献できたのではないかと自負しているところであります。

最後になりましたが、今回の受賞を機に、改めて「地域の発展に貢献する」という経営理念に基づき、地域のサポーターとして、努力していく所存であります。会員の皆様方におかれましては、今後ともご指導、ご支援よろしくお願いいたしますとともに、皆様の今後益々の御繁栄をお祈りいたします。

平成16年度(大臣表彰者)

自然環境と建設業の共存の道を探る
(須田輝夫 株式会社丸本組代表取締役社長)
須田輝夫

この度、漁港漁場関係事業優良請負者として農林水産大臣より表彰を賜りましたことは、光栄の至りであると共に、誠に身の引き締まる思いで一杯です。

弊社は、昭和21年創業以来、宮城県石巻市に本社を構え、地域社会に貢献できる建設業との思いで事業を続けてまいりました。

宮城県沖は、親潮と黒潮の合流する世界有数の漁場として昔より全国有数の漁港を有する水産県で、石巻市も、昔から漁業の盛んな町として発展してきました。特に昭和38年頃から北洋漁業への積極的な進出により、スケソウダラや銀ダラ等の北洋魚類が大量に水揚げされるようになり、昭和49年には石巻新漁港が完成し、石巻漁港の名前は全国的に広く知られることとなりました。また、隣接する町村にも多くの漁港がありますが、その中でも牡鹿町は捕鯨の町として捕鯨が禁止されるまで全国でも有数の捕鯨基地として栄えていました。また、石巻市は漁業の他にも造船業の盛んな町として多くの漁船・鋼船が建造されておりました。伊達正宗公の命を受け、隣接する月浦港から江戸時代に支倉常長率いる乗組員百八十余人がローマを目指し船出した慶長遺欧使節船「サン・ファン・バウティスタ号」の復元建造が官民一体のもと行われ、日本で初めて太平洋を二往復した木造帆船の偉業を後世に残すべく平成5年5月に完成復元されたことは、造船の町としての誇りであります。

弊社は、そのような地域環境の中で事業を行っておりますので、漁港・漁場関係の整備事業にも、これまで少なからず関わらせていただきました。自社の保有する各種作業船舶を駆使し、漁港・港湾などの海上土木にも微力ながら力を注いで参りました。

しかし、200海里問題や毎年減少していく漁獲高など、水産業界を取り巻く環境は年々厳しいものとなり、石巻市においても、水産加工業、造船業とともに漁港・漁場関係の整備にも多くの影響を与えております。しかし、海洋資源は日本にとって欠かすことのできない重要な資源であり、水産関係の再生は日本復興の一翼として今後も更に改善・推進されるべきものではないでしょうか。

そのような思いの中、弊社では、自然環境と建設業の共存の道として、現在、石巻専修大学理学部の高崎みつる教授を中心に、雄勝町雄勝湾漁業協同組合・河北町漁業協同組合・石巻地区森林組合・㈱ヤマニシ・石巻環境サービス㈱のご協力のもと、磯焼け対策として間伐材を利用した魚礁投入や、酸素を高濃度に溶解した水を海に送り出し酸素欠乏水域の改善を行うための実験など、漁港・漁場関係の整備事業に少しでも貢献できればとの思いで研究・観測を行っております。

図らずも、今回表彰の栄を賜りましたが、これも偏に常日頃より弊社の施工に御協力いただいている協力会社の皆様や全日本漁港建設協会並びに漁港・漁場関係各位のご理解の賜物であると、改めて御礼申し上げますと共に、皆様の今後益々の御繁栄をお祈り致します。

責任の重さ痛感
(野津一成 美保テクノス株式会社取締役社長)
野津一成

去る5月13日、平成16年度漁港漁場関係事業優良請負者として、農林水産大臣受賞を授与されました。

農林水産省水産庁長官室で、田原文夫長官から表彰状をいただき大変感激致しました。全国で数千社ある業者の中で毎年3社以内しか表彰されないとお聞きし、改めて責任の重大さを痛感致しました。

我社は昭和44年より港湾、漁港工事に参入し以来35年間、県、市、町村それに各漁協さんや関係者の方々に大変御世話になり、発注者、請負者、受益者と立場は異なりますが、いわば三位一体で事業を推進することが出来ました。40年近くというと我社も代が変りましたが、漁協の方々も当初の組合長も殆ど鬼籍に入られ、改めて長い年月を感じております。色々想い出もありますが、最近では若い組合長、組合員の方も多く、側で見ていても漁業、漁場を守る取り組みは、真剣で常に将来のことを考えておられます。日本の水産資源に対する危機感、良質な食物資源の確保への義務感で大変失礼ですが、以前のようにいくらでも漁がとれて何となく漁業に従事しているというより、今では一種の熱気を持って取り組んでおられるように感じます。どこの組合でも獲る漁業から育成する漁業へとなりました。最近境港漁協では海神鯖と名づけた養殖鯖が美味であると大変評判になり、引き続き鯵にも取り組むと非常に積極的です。今迄の魚礁はいわば点の養殖でしたが、大島会長の提唱される海藻や藻場の育成は線又は面の養殖であり、地球環境も視野に入れた壮大な構想と思います。

海を知悉した漁協さんと、工事の経験ある請負者で智恵を出し合えば更に成果が上がると思います。漁港工事といえば、離岸堤や突堤が主体でしたが、今後は海中の整備、それに陸を含めた漁港全体を考えた取り組みが必要と思います。いわばソフト面が急務となっており、私達もお役に立てることがあれば何でも協力していく覚悟です。

さて、最近の風潮で誠に残念なことは、漁港整備事業がムダの塊であり、何の役にも立たない所に巨額の税金のムダ使いしたという論調が多く、安易にマスコミもこれに乗っております。

漁港整備は国土保全の一環であり、もしこの事業がなかったなら、我国のように海に囲まれた国土の相当部分が消滅したと思います。たまたま漁港建設の名目で使っただけなのです。従って、国土保全に多大の貢献して来たと自負すべきです。保全の後は如何に漁港を活用するか。いわば第2ラウンドに入ったと思います。我社も今回の表彰を契機に益々努力すべきと思っております。今後共、関係各位の変らぬご指導よろしくお願い致します。

それは海から始まった
(中筋豊通 株式会社中筋組代表取締役社長)
中筋豊通

出雲大社の西隣、国譲りで有名な稲佐の浜。漁業を営んでいた中筋家を若くして継いだ5代目中筋賢一は、漁業のかたわら浜の若衆を率いて出雲大社外苑の整備や地域の石垣積みなどを引き受けて、不安定な漁師の生活に潤いをもたらしていた。

昭和初期、世界大恐慌、満州事変、日本は不況と戦争の暗雲の中にあった。政府は救農土木事業を奨励、島根県でも県道改修や港湾・漁港修築、隋道、堰堤工事など多くの社会資本整備が開始された。

そして、昭和8年「大社漁港修築工事」が始まった。「く」の字に港を守る「東突堤」と真っ直ぐに伸びる「西突堤」、港の外で波を防ぐ「防波堤」、そして「水揚げ岸壁」の建設、主たる工事は埋立て・浚渫などで、特に大変なのが基礎工の捨石であった。翌昭和9年4月地元で臨時的に土木作業に従事していた「中筋一派」にも協力依頼があり、海の男達による海の工事、難工事ではあったが捨石設置に全力を尽くした。そして10年4月1日個人「中筋組」が誕生、その後、竣工の昭和13年5月まで修築工事は続いた。

この「大社漁港修築工事」の「基礎工事・捨石」が中筋組の原点であり、終戦後、稲佐の浜から日御碕間の通行客や観光客を運ぶ海運業、さらに底曳網漁を展開、正しく海が中筋組を生み育てた。

昭和29年9月、船員18名、土木作業員20名で株式会社中筋組発足。多くの人々に助けられ、励まされ、初代社長「賢一」、二代「幸男」高度成長の波に乗ったが、役職員一丸となって事業を展開、港湾・漁港、土木、建築、上下水道、舗装、コンピューター、生コン・アスコン、石油販売等々中小企業ではあるが、地域に育てて頂いた。本当にありがとうございます。

昭和16年、祖父賢一が九死に一生を得た大社沖救助活動(遭難船船員10名中5名、救助隊10名中6名・計11名の尊い命を失った)で子孫に教えてくれた『己を捨てて難に赴く精神』。そして昭和48年、父幸男が制定した経営信条『中筋組は社会のために存在し社会とともに繁栄する』この2つの精神が中筋グループの受け継がねばならない『経営の心』だと信じています。

さる5月、漁港漁場関係事業優良請負者として『農林水産大臣表彰』を頂きました事は誠に光栄の極みであります。ご推薦下さった関係各位、全日本漁港建設協会会員の皆様を始め、お世話になった方々に心から感謝申し上げます。

「光風霽月」心を新たにし、漁港建設事業の発展、さらに社会への貢献に尽力致す所存であります。ありがとうございました。